しかし・・・まもなく秋保郷の歴史に大きな変化の時がやって来る。 明治15年の関山トンネル完成による車道(車馬)開通がそのきっかけである。車馬の往来が可能になったことは、それまで人馬のみ通行可能とした二口街道の物資輸送に大きな影響を与え、有史以来仙台・山形間の最短ルートとして栄えた秋保郷は、その主導権を関山街道に奪われ、宿場集落は急速に衰退の一途たどるにいたる。 以後、耕作と製炭(炭焼き)を中心とした山村集落としての経済基盤を作り上げながら戦後を向かえ、昭和30年に新川地区が旧宮城町に合併し、昭和42年に秋保町となったあと昭和63年には仙台市と合併し現在にいたっている。こうした中、人々は水稲を基幹産業としながらも秋保温泉や秋保大滝といった自然を主体とした観光産業を再構築し、その雄大な自然の中に更なる歴史を刻んでいる。 今日多くの人々が四季の秋保郷を訪れ、雄大な自然にどっぷりつかりその素晴らしい環境を満喫している。まさに自然の宝庫といった景勝地も数多く散在し、都市近郊のやすらぎの場としても最も注目されている地域である。秋保郷は古代以来、山形へ通じる要害の地としての歴史や史跡を配置し、さらにはそれに伴う豊富な民族文化の伝承の地としての魅力もまた大いに自慢できるものである。