4 異文化との遭遇そして伝説
 その円仁が奥羽越境の際、二口山塊でマタギの祖或いは蝦夷文化の大親分と遭遇した。「ここらの山のぬしは、おれだ!」と山中で円仁を阻んだのは磐司磐三郎(兄弟?)だったに違いない。しかし、異国の神のありがたさと円仁の並外れた人徳の高さに、完全に感化された磐司磐三郎は、全山をあげて円仁の宗教活動を支援したと推察される。

 円仁という人物を介し幸か不幸か精神の転換を受けたその集団は、くしくも東北地方というきびしい気象条件のなかに狩猟の風習と自然崇拝といった精神(マタギ)だけは、細々と残している。
 然るに二口山塊には磐司磐三郎(兄弟?)を起因とした名所も数多く、名称磐司岩を長く生活のフィ−ルドとしてきた野尻の集落をはじめとして、秋保地域民にとっては実在したであろう磐司磐三郎を先住の英雄として崇め、山岳民俗の誇りを今に伝えている。
 さらに二口峠を越えた山寺立石寺では開祖の円仁もさることなが二口を縄張りとしていた磐司磐三郎の功績をも大いに讃え、山神として祀っているのである。

 磐司さらに・・・・
 いうまでもなくこの伝説の人物の舞台・・・二口には、かつて「磐神岩」と記録がありさらには磐神(ばんずん)と称され語り継がれてきた。

二口山塊最大の奇岩群・・・磐司岩がある。
(おそらく日本山容姿からみても巨岩列群はなはだしく一見してすごい!)

雄大で荒々しく異様なまでの幽玄さを漂わせるその山容こそ、伝説のすべてといっていいほどの神聖な一帯を構成している。それは古くは山岳民族の生活の舞台であり、誇りであったに違いない。(もちろん2000年となった今でも秋保郷の誇りでもある)

磐司磐三郎・・・・
 諸般の説では一人(磐司磐三郎)といい、または二人(磐次郎・磐三郎)という。壮大なこの伝説を胸に、奇跡にしていまだその痕跡がみられるであろう伝説の舞台に、今年もザック一つを背負って四季折々に融けてみたいものである。


あとがき
 さて・・・・・
 実のところつたない今回の取材で、今日奥羽山地の集落に残るこの雄大な磐司磐三郎伝説を組み合わせ一元化してみようという浅はかな考えに何度かさいなまれたが・・・ しかし伝説を一元化するなどというばかげた仮説をたてること事態、愚かなことで、伝説は各地の風土と民族文化にあってこそ生きるものであるからそういう作業は中止した。(・・・当然でしょうね)
参考図書
秋保町史 (秋保町教育委員会) 山形県の歴史(山川出版)
二口谷の民俗 三原良吉著 山寺百話 伊沢不忍著
秋保夜話 大津秀雄著 続山寺百話 伊沢不忍著
秋保の文化財 (仙台市教育委員会) 高瀬見たり聞いたり 高瀬郷土史研究会
マタギ(消えゆく山人の記録) 太田雄治著 慈覚大師円仁と山寺 武田唯雄著
山形市史(山形市教育委員会) 山寺千手院考 佐々木四郎著
宮城県の歴史(山川出版)