
大滝不動尊の西側に位置する西光寺は真言宗に属し、もとは馬場町の入口「めがね橋」の南側にあり、
秋保氏分家馬場氏3代定重の居館「豊後舘」に隣接していた。
戦国時代、定重は伊達氏と主従関係を結び、二口峠の境界警備という重役を貫徹するため、
山形最上氏との戦いが絶えなかったという。中でも野尻「越えどの沢」を利用した最上軍の奇襲攻撃には不意をつかれ、
豊後舘はたちまち占拠されるという危機に陥るが、捕虜となった妻子の投身を機に、
なんとか奪回に成功している。定重はこのとき犠牲となった妻子をはじめ多数の犠牲者を弔い西光寺を創建したといわれている。
大滝不動堂は、西光寺の付属仏堂である。この地は平安初期山形県山寺の立石寺を創建した慈覚大師(円仁)が、
はじめ湯元の嘉々峡の北側洞窟堂山に精舎を開こうとしたが時の領主に反対され果たせず、
二口街道を山寺へと向かう途中、大滝の壮観さと森厳さに心打たれしばしここに留まって不動尊を安置したといわれている。
その後江戸後期、馬場生まれの知足上人が、奥州行脚を重ね現在の本尊の再興とお堂を創建した。
本尊は地方に珍しい秀作で、伊達家の鋳物師津田甚四郎の鋳造にかかり、像高3mを越える。
雄大な秋保大滝の自然と合わせ、古くから人々の霊場として知られ、現在も市民の憩いの場所として人気がある。 |