時の旅人

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大雲寺と秋保家廟 / 西光寺と大滝不動尊 / 洞窟堂山と塩滝不動尊


大雲寺と秋保家御廟 所在地:太白区秋保町長袋

大雲寺と秋保家御廟 もとは境内の東にある鎌倉時代の板碑から、神林寺といわれる天台宗の寺だったと推測されている。 寺内には若くして仙台藩の重職にっき、次々と多大なる功績を残した秋保氏23代氏盛の墓がある。 氏盛はその人望から藩の絶大なる信頼を受け、居館「長舘」の再興と家中集落と町場の整備にも勤め、 現在の「舘」と「長袋町」の基礎を作った人物で、時の和尚はその人柄と功績を讃え「大雲寺殿大居士」という偉大な法名を贈った。 秋保を支配していた秋保氏が弔われ、その痕跡が確認できる場所として知られ、 以後数代に渡って秋保氏とその家中の菩提寺となっている。
現在は曹洞宗に属し、近年本堂が新築され雅びなたたずまいをみせている。
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西光寺と大滝不動尊 所在地:太白区秋保町馬場字大滝

西光寺 大滝不動尊
大滝不動尊の西側に位置する西光寺は真言宗に属し、もとは馬場町の入口「めがね橋」の南側にあり、 秋保氏分家馬場氏3代定重の居館「豊後舘」に隣接していた。
戦国時代、定重は伊達氏と主従関係を結び、二口峠の境界警備という重役を貫徹するため、 山形最上氏との戦いが絶えなかったという。中でも野尻「越えどの沢」を利用した最上軍の奇襲攻撃には不意をつかれ、 豊後舘はたちまち占拠されるという危機に陥るが、捕虜となった妻子の投身を機に、 なんとか奪回に成功している。定重はこのとき犠牲となった妻子をはじめ多数の犠牲者を弔い西光寺を創建したといわれている。 大滝不動堂は、西光寺の付属仏堂である。この地は平安初期山形県山寺の立石寺を創建した慈覚大師(円仁)が、 はじめ湯元の嘉々峡の北側洞窟堂山に精舎を開こうとしたが時の領主に反対され果たせず、 二口街道を山寺へと向かう途中、大滝の壮観さと森厳さに心打たれしばしここに留まって不動尊を安置したといわれている。
その後江戸後期、馬場生まれの知足上人が、奥州行脚を重ね現在の本尊の再興とお堂を創建した。 本尊は地方に珍しい秀作で、伊達家の鋳物師津田甚四郎の鋳造にかかり、像高3mを越える。
雄大な秋保大滝の自然と合わせ、古くから人々の霊場として知られ、現在も市民の憩いの場所として人気がある。
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洞窟堂山と塩滝不動尊 所在地:太白区秋保町湯元

洞窟堂山と塩滝不動尊 秋保温泉中心部から東側、嘉々峡の北側に位置する洞窟堂山は、その昔慈覚大師(円仁)が山形県山寺に立石寺を開山するまえに、 この地に精舎を開き一大聖地を創設しようとした霊場といわれている。 しかし大師は、時の領主に再三にわたる嫌がらせと度重なる反対を受け遂に断念、 新たな聖地をもとめ山形へと移動したといわれている。現在もその痕跡として、 かっての秋保電鉄軌道わきには、石鳥居の奥に塩滝不動尊が祀られており、 その上の山林中には梵字石(大日如来・薬師如来・不動明王等)5基が祀られている。 また、洞窟堂山は、昭和初期から秋保石の採石場として産業を生み出し、その隆盛が知られている。 このことにより当時の聖地としての原型はくずれ、現在はその面影はとどめていない。
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